バイト先では明日を以て2009年度が終了し、もともと自分は土曜日には入っていないので今日で離職ということになりました。最終日の仕事が電話番で、自習に来た子どもたち3人の相手をしただけというのも少しばかり寂しい気もしますが、いつもと同じように接することはできたと思います。
思い返せば、2005年6月に面接と合わせて高校入試程度の試験問題を受けて、7月くらいから実際に授業に入ったと記憶してますが、よもや5年近くも続けようとは思ってもいませんでした。配属先が決まった後にそこでの担当者との打ち合わせも兼ねて見学をさせてもらいましたが、外から見てるのと中に入って実際にやってみるのとでは大違いで、最初は子どもたちに助けられることも多くて立場が逆転してました。毎週のように宿題をやって来ない子を叱ることもありましたが、それと比べれば今はだいぶ丸くなってます。配属されて1週間も経たないうちに慰労会に呼んでいただいたことも(当時は恐縮しきりでしたけど)いい思い出。ホテルの一室を貸し切ってタダ飯にありつける有り難いイベントだったのに、今では行われなくなってしまったのが非常に残念です。
個人的に転機だったなぁと思うのが2年目の2学期。入塾してから卒業するまでの授業を通して担当させてもらって達成感の味を占めたというのもあるし、仕事内容にも慣れてきたし、何より子どもたちと仲良くなれたのが大きいです。カワタロといっしょにやってたのがこの頃になるんだっけ? このブログにも書いてたけど、当時はまさに「お父さんの気分」だったと思います。卒業イベントに誘ってもらったのも、その年のが最初で最後。卒業してからも、たまに遊びに来てくれたのが嬉しかったなぁ。
3年目以降はバイトに入る時間も増え、だいぶ稼がせてもらいました(ぉぃ。自分が担当していない子とも話すようになって、ある意味では今のスタイルが確立してきたと言えるのもこの頃でしょうか。上限いっぱいの週12コマで入ったり、主要5教科すべてを担当したりもしました。
4年目は就活を始めたことと、ようやく研究室に配属されて卒研に取り掛かったこともあって、コマ数を減らしてもらってのスタート。先日も書いたように、この頃はどのタイミングで辞めるかを考え始めてたのですが、少しずつ授業数が増えてしまい、5年目の2学期に差し掛かる頃にはほぼ毎日のように入ってましたけど(汗。最後の半年はバイトの入れ替わりが激しかったこともあって、いろんな子と接してるうちに別コースの子どもたちとも仲良くなりました。この世代はやたらとフレンドリーで、付けられたニックネームも最多。それだけ距離が近かったんでしょう。
幸か不幸か、他の業種のアルバイトを経験することはほとんど無かったので、これが天職だったのかどうかは判りませんが、やっていて楽しかったですし、だからこそ続けられたんだろうなと。ただでさえ事前の準備や後片付けなど給料の出ない時間は多いし、途中で1コマあたりの時間が短くなって給料が安くなったりもしたし、「給料が欲しい人」には勧められませんが、それ以外に得たものは大きかったです。
惜しむらくは、昨日までに自分が担当してきた子たちの面倒を最後まで見られないことが心残りです。次から次へと新しい学年の子を持つので、それを言い出すとキリがないのですが、慕ってもらってただけに残念さと申し訳なさがあります。また、自分が入った年の年度末までご一緒した女性のアルバイトの方が理想だったのですが、その域には達せないまま終わってしまったなぁ。
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